もしあなたが、絵画をどう評価していいか迷っているなら、解決策は次の3つです。
- 今まで絵画はどう評価されてきたか、その根本原理を知る
- 絵画を評価するための、世界統一基準を考える
- 世界統一基準を踏まえた上で、自分なりの批評を実践する
この3つで、あなたは自分の評価に自信が持てるようになります。
あなたは今まで、すべての絵画を同じ基準で評価しようとしたことはありませんか。
時代や場所を超えてすべての絵画を評価できる基準があれば便利ですよね。
でも、時代や地域によって存在意義も目的も違う絵画をすべて同じ基準では評価できません。
そこでまず、絵画はこれまでどう評価されてきたか。
大きく分けて、東洋と西洋ではどんな違いがあったか。
という点から、お話します。
絵画を評価するために必要なこと
西洋と東洋での事情の違いを知る
西洋では、「絵に意味を持たせて、それらを読む」というやり方で、描き手と受け手との間で情報のやりとりをするために絵画が使われてきました。
つまり絵画は、コミュニケーションの手段だったわけです。
例えば、
- 描かれたものの象徴的な意味
- サインランゲージのような身振り言葉
- 顔の表情や、身振りによる感情表現
と言ったことに関する知識を、描き手と受け手との間で共有していたわけです。
画家はこれらを駆使して意味を伝え、見る者は、その意味を読み取る。
というのが一般的だったわけです。
ですから、よい絵とは必然的に、よりよく意味を伝えられた絵、よりよく人を説得できた絵、ということになります。
例えば、バロック絵画などは、見る者を雄弁に説得する技術の典型です。
でもこれは、西洋での事情であって東洋では事情が違います。
その理由は、そもそも東洋では絵画の存在意義そのものが違ったからです。
そこで、西洋と東洋での自然や美に対する考え方の違いや、絵画の存在意義の違いなどを大まかにまとめてみます。
絵画は何の役に立つか | 自然(その他)を説明するためのもの | 自然(その他)を感じるためのもの |
自然とはなにか | 生きるために、折り合いをつけなければならないもの | その中の一部で、人間が生かされている世界 |
自然と美との関係 | 自然に秩序を与えることで、美になる | 自然そのものの中に美を見いだす |
これほど、西洋と東洋では自然や絵画に対する考え方が違っています。
でも、「絵画に意味を込めて、それを読む」という西洋のやり方は、誰にでも説明できるものですし、そうなると、どこででも通用するという強みが出てくると思いませんか。
西洋のこの傾向は、近代まで続きます。
ここで、エジプト時代からバロックの時代まで、
表現原理の変遷をたどってみます。
エジプト美術 | 知識に基づいて表現した |
ギリシャ美術 | 自分の目に基づいて表現した |
中世美術 | 感じたことに基づいて表現した |
ルネサンス美術 | 人間中心に世界を見て表現した |
バロック美術 | 説得の技術を駆使して表現した。 |
このように、表現原理の変遷はあるものの、近代以前までの西洋では、「絵に意味を込めて、それを読む」というやり方が中心的でした。
ですが、描き手と受け手との間の知識(サインランゲージ的な身振り言葉や、ものに込めた象徴的な意味などの知識)の共有が、時代とともに失われてくると、コミュニケーションが難しくなってきます。
これでは、「誰にでも、どこででも通用する」というわけには行きません。
現に近代以降、説明や説得の技術よりも、純粋に造形的な方面を評価するようになってきます。
近代以降は、絵画の購買層が変わったこともあって、画家たちは、自分の好きなものを好きなように表現するようになります。
印象派の画家たちの登場です。
では、印象派以降の画家たちは、絵画の評価基準をどう変えていったのでしょうか。
「誰にでも、どこででも通用する」という評価基準はあったでしょうか。
まずは、セザンヌから。
彼は、一つの革命を起こします。
それは、西洋の画家たちが、あれほど熱中していた遠近法から離れたことです。
彼はなんと、『線遠近法によらない、色彩による奥行き表現』と『構図』の調和を実現したのです。
その後マティスは、『色彩の相互関係』を重視し、そこに、何ものにも勝る美の基準を見いだしました。
それからというもの、画家たちの様々な試みは、めまぐるしく変遷します。
- デュシャンを代表とする『視覚のためのアート』から『思考のためのアート』への移行。つまり、『目で鑑賞するアート』から『頭で鑑賞するアート』への移行。
- ポロックに代表される。『イメージを喚起させる絵画』から『物質そのものとしての絵画』への移行。
- ウォーホールによる「オリジナル」と「コピー」の境界線の破壊。
または、「アート」と「アートでないもの」との境界線の破壊。
このように見てくると、「絵に意味を込めて、それを読む」という西洋本来の評価の基準の変種といった感じですね。
その中でも、セザンヌとマティスは、特に意味や説明を求めたわけではなかったことがわかります。
それでは、「誰にでも、どこででも通用する」という評価基準は、どこに求めればよいでしょうか。
絵画を評価するための世界基準とは
西洋美術の評価基準や、東洋美術の評価基準や、ローカル美術の評価基準など、当然いろいろあっていいと思いますが、現代は、世界基準が求められる時代です。
世界各地で一時的な流行が起こるのも楽しいものですが、これだけ世界が狭くなった現代です。
世界基準を考える価値はあると思います。
西洋と東洋をつなぐ基準を考えたとき、
普遍的なものや本質を求める傾向は、西洋にも東洋にも昔からあったことは事実ですから、「普遍的な真理を追求した作品かどうか」を世界基準のひとつにしてはどうでしょうか。
それでは、絵画において追求すべき真理とは何でしょうか。
それは、絵画の基本的機能が充分に働いていることです。
それでは、絵画の基本的機能とは何でしょう。
それは、私の考えでは、周りの自然との折り合いをつけること、「内的世界と外的世界とのつながりをつける」ことです。
これがよりうまくいったときが、絵画において真理が実現されたときです。
おなじみのジャンルの作品(宗教画、風俗画、風景画、静物画、肖像画など)のなかにも、特定のジャンルに属さない次のような作品の中にも、真理追究の実例を見ることができます。
- 本物の現実を追求した作品
- 美・愛・死を追求した作
- 生命原理を追求した作品
何を追求した作品であっても、「内的世界と外的世界がよりうまく繋がっている作品」こそが世界基準に見合った作品です。
このような作品は、副次的に、次のことをもたらします。
- プリミティブな感覚
- 呪術的な感覚
- 論理では割り切れない感覚
- 生きる喜び
- 心の安定
「内的世界と外的世界とのつながりをつける」これはどういうことでしょうか。
他の言い方をすれば、それは、『対立する力どうしが、互いに損なうことなく、支え合っているという関係を実現する』ということです。
抽象的な言い回しですみません。
この対立関係の解消は、日ごろ日常生活では、よく経験することだと思います。
例えば、
- 悪化していた人間関係が解消されたとき
- 病気から回復したとき
- 仕事の行き詰まりから脱したとき
- 困難な目標を達成したとき
これらのとき、対立関係の解消を実感することがあるのではないでしょうか。
日常生活では、対立しあっているものが具体的にイメージしやすいものなので、対立関係の解消も、イメージしやすいと思います。
ではあなたは、絵画における対立関係を考えてみたことってありますか。
ちょっとイメージしにくいかもしれませんが、実は、絵画の画面上は、対立関係であふれています。
例えば、
- 造形要素(線、色彩、明暗)間の対立。
- 形どうしの対立。
- 構図間の対立。
- 絵の具と支持体との対立。
- 描かれているものと描くために使われた材料との対立。
- 描かれているものと描き方との対立。
他にも挙げればきりがありません。
つまり、対立関係があまりにも多すぎるため、それをイメージしにくいわけです。
ですから、絵画における対立関係を捉えるには、ちょっとコツがいるのです。
それは、画集などで絵画の図版を見るとき、逆さまにして見てください。
普通人間は、絵画や写真などを見ると、無意識のうちに何が描かれているかが気になるものですが、何が書かれているかに気が行ってしまうと、対立関係に気づきにくくなります。
そこで、図版を逆さまに見たときの、描かれているものをすぐには把握できない一瞬を利用して、次の二つをやってみてください。
- ものの形として形を見るのではなく、色の形として見る。
- 線を、かたちを構成している線として見るのではなく、線そのものとして見る
これをやってみると、色の形どうしの思いがけないつながりや、線そのものどうしの思いがけないつながりなどが見えてきますよ。
そのあとで、逆さまの図版をもとにもどすと、今まで見落としていた対立関係や、それらを画家たちが、どう解消しようとしたかが見えてきますよ。
対立関係の解消がうまくいっているかどうかが気になってくると、絵画を評価するための世界基準はもうあなたのものです。
絵画を自分なりに評価する方法
まずはじめに、これだけは声を大にして言いたいことがあります。
最強の批評方法を決して忘れないでください。
それは、『自分の感性に基づいて作品を見る』です。
なぜなら、絵画は間違いなく、それを見る人のためのものだからです。
あなたが絵画を見るときは、絵画はあなたのためのものなのですから、あなたの自由に見ることが最優先されなければなりません。
他の誰でもなく、あなたの感性に基づいてみることが、最優先されなければなりません。
画家の意図がどうあれ、それが受け手に伝わるかどうかは、画家の責任ですから、受け手はまず、自分の感性に基づいて見ることが大切です。
たとえ画家が、そこに何を込めようが、絵画は結局のところ、大きく分類して、
楽しむためのものですから、受け手の主体性が、最優先されるべきです。
このことを踏まえていただいた上で、実践です。
しつこいようですが、まずは、自分の感性に基づいて作品を見ましょう。
絵の見方に良いも悪いもありません。
これは古今東西、未来永劫、変わることはありません。
はじめは、人が共感しようが、しまいが、かまいません。
自分の感性だけは、本当に大切にしてください。
その上で、自分がいいと思った理由を追及し、他の人も説得できたら、それこそ本物の批評です。
次に、世界統一基準のことも、気にかけてみてください。
『対立する力どうしが、互いに損なうことなく、支え合っているという関係が実現されているかどうか』 です。
対立関係が解消されているかどうかは、日常生活では、良く経験することですから、その視点を絵画(芸術)にも向けてもらうだけでいいのです。
以上の二つを実践してもらうと、あなたは間違いなく次の二つを手にすることになります。
- あなた独自の批評眼
- 絵画(芸術)を見るときの試金石
是非、実践してみてください。
まとめ
東洋と西洋とでは、絵画の存在意義の違いや自然や美に対する考え方の違いがあります。でも、昔から、普遍的なものや本質を求める傾向が東洋にも西洋にも間違いなくありました。
そこで今回は、絵画を評価するための世界統一基準の可能性を探ってみました。
それは、絵画の基本的な機能、つまり、
絵画が、内的世界と外的世界のつながりをつけてる。
絵画が画面上の対立関係を解消している。
これがうまくいっているかどうかを世界基準としました。
そして、実際に絵画を評価する場面では、
- 自分の感性に基づいて見る
- 世界基準を時々気にかける
これを実践してくだされば、絵画(芸術)鑑賞の楽しみが、さらに深まるはずです。
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芸術を見極めるための必須条件を詳しく解説
芸術を見極めるために必要なのは、たった1つの知識と、たった1つの感覚です。知識といっても、美術に関する書籍や解説書に載っているような知識ではありません。感覚も、特別なものではなく誰もが日常生活で普通に働かせている程度のものです。ところがこの2つは、芸術を見極めるには、必須の条件だったのです。
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