誰かと絵画について話しているとき、自分の好みが相手にわかってもらえないと、少しさみしいですよね。
やはり、絵画鑑賞の楽しみの一つは、人との共有ですからね。
そんなとき、好みを超えた評価基準、つまり、『絵画の真価を見極めるための基準』を知っているとお互いに価値観を分かり合うための助けになります。
表面的にはお互いに好みの違う二人であっても、根底において、「時代や場所や好みを超えた評価基準」を共有していれば、お互いに相手の意見を受け入れやすくなるはずです。
そもそも絵画は、歴史や文化の違いを超えて、そのままで全世界に通用するものではありません。
実際に、西洋の18世紀頃までの絵画は、主に意味を伝えることを主眼とした作品がほとんどでした。
現代の我々がそれらの絵を見るとき、当時の文化的背景に基づく絵言葉や身振り言葉などの約束事を知らないと、当時の画家の意図は我々にはなかなか伝わりません。
また、西洋と東洋とではものの見方や考え方や価値観が違うので、おのずから絵の評価基準も違ってきます。
それでも、これらの事情を超えて、「絵の真価を見極めるための基準」いわば、絵画の試金石を考えることができます。
そこでこの章では、
- そもそも絵画の評価基準とは何か
- 西洋と東洋における絵画に対する考え方の違いとは何か
- 時代や場所や好みを超えた評価基準(絵画の試金石)とは何か
- 絵画の試金石の使用方法
これらについて詳しく解説していきます。
絵画の評価基準とは
評価基準とは、評価されるものが最低限満たされなければならない条件だと言うことができます。
絵画の場合「それが目的にかなっているかどうか」と、「美の基準にかなっているかどうか」が、基本の評価基準です。
絵画の評価基準・その1「目的にかなっているかどうか」
まず、「目的にかなっているかどうか」についてですが、絵画の目的そのものがわからなければ、「目的にかなっているかどうかを判断する」という当たり前の評価さえ出来ないわけです。
そこでまずはじめに、明確に分類できる絵画の目的を大きく2つに分けてみます。
それは、「概念の伝達」と「真理の追究」の2つです。
※この点について更に詳しく知りたい方は、『絵画の良し悪しが気になる方へ、当たり前なのに意外と見落とされている盲点(絵画の目的と影響)』という記事をご覧ください。
「概念伝達型絵画」の目的は、それを見る人に特定の意味を伝えることです。
「真理追究型絵画」の目的は、それを見る人に何らかの良い影響を与えることです。
絵画によっては、これら2つの目的が融合している場合もあります。
いずれにせよこの分類は、絵画の目的を意識するときに、一つの目安として使えます。
絵画の評価基準・その2「美の基準にかなっているかどうか」
次に、「美の基準にかなっているかどうか」についてですが、絵画は、時代や地域に応じて、美の基準に違いが見られることがあるので、すべての絵画を一つの美の基準で評価することが出来ないのです。
特に、東洋と西洋とでは、美に対する考え方の違いがあります。ここを押さえておかないと、見当違いの評価で終わってしまうことがあるので注意が必要です。
そこで、美の基準の地域差について詳しく解説します。
西洋と東洋における美に対する考え方の違い
美の基準の地域差を考える前に、まず世界を大きく西洋と東洋に分けて、絵画の目的に違いがあるかどうかを探ってみます。
先ほどお話した「真理追究型絵画」と「概念伝達型絵画」は西洋にも東洋にもあります。
そして、どちらの地域でも、絵画とは、人間と周りの自然との折り合いをつけるものだ、という点においては変わりありません。
また、美を追求するという目的も同じです。
ところが西洋と東洋とでは、そもそも人が自然をどう捉えるかで、美に対する考え方の違いが出てくるのです。
次の違いに注目してください。
西洋の美 | 人が自然に対して畏怖を感じながらもそれを克服して、それに手を加えることで生まれるもの |
東洋の美 | 人が自然に対して畏怖と同時に憧れを感じるときに、自然そのものの中に見出すもの |
これは、自然環境の違いが、感じ方や考え方の差を生んだと考えられます。
美を追究するという目的は同じでも、美に対する考え方が違うと、当然、評価の基準も変わってくるわけです。
西洋では、普遍性が重視されますが、東洋では、何よりも気韻生動が重視されるという事実も、美に対する考え方の違いからきています。
【注】気韻生動とは、生命力に溢れ、気品が感じられる表現のことです。
次の章では、普遍性と気韻生動について解説します。
西洋で重視される普遍性と東洋で重視される気韻生動
なぜ西洋では「普遍性」が重視され、東洋では気韻生動が重視されたのか少し考えてみます。
まず、人の「ものの考え方」や「感じ方」に大きな影響を与える要素をいくつか挙げてみます。
- 自然環境
- 生活環境
- 国家間の対立と交流といった歴史
- 宗教観
この中でも、美術品を作るにあたって一番大きな影響を与えるものは、自然の捉え方です。
そもそも、西洋と東洋における自然の捉え方の違いが、美術品の制作に大きく影響しているのです。
西洋にとって自然は、克服すべき対象です。そんな自然に秩序を与えることで美を創造する、という考え方が主流です。
自然に秩序を与えるときに、その正当性を求める一番の拠り所になった基準が、普遍性(自然法則)でした。
さらに、異民族どうしの交流のためには、お互いの文化的背景を知らなくても伝わる尺度(普遍性)が必要だったとも考えられます。
いずれにせよ西洋の自然の捉え方は、誰にでも説明できることを目指したものですから、どこででも通用するものになるという強みがあります。
一方東洋にとって自然は、人がコントロールすべきものではありませんでした。
自然は、その中で人間が生かされている世界です。
ですから、画家が美を創るときに必要なのは、普遍的な自然法則ではなく、彼がどれだけ自然を受け入れる受容体になれるかということです。
東洋では、自然を受け入れた画家が、その生命力を気品のある生き生きとした表現で捉えると、そこに必然的に美が生まれると考えました。
これを「気韻生動」と呼び、美術品の真価を見極める基準にしてきたのです。
このように、西洋と東洋とでは、美を追求するという絵画の目的は同じでも、自然の捉え方の違いから、「評価の基準」そのものが違ってくる、という事情があることを押さえておいてください。
補足:
ここでちょっと整理しておきます。
絵画の評価基準は次の2つです。
- 目的にかなっているかどうか
- 美の基準にかなっているかどうか
絵画の目的は、大きく分けて次の3つです。
- 美の追求
- 真理の追求
- 概念の伝達
西洋と東洋での美の基準の違いは、次のとおりです。
- 西洋の基準=普遍性の実現
- 東洋の基準=気韻生動の実現
我々が何かを評価するとき、まず、それが目的にかなっているかどうかを見極めることが基本です。
ところが絵画の場合、その目的そのものを明確に意識して、評価する人はあまりいません。
ましてや、その目的に応じて評価基準を変えて評価する人などほとんどいません。
そもそもほとんどの鑑賞者は、絵を観るたびに、いちいち絵画の目的を意識することなどないはずです。
でもこれでは、何をどう評価していいのかわからなくなるのは、当たり前です。
もちろん、評価など気にせず、好みの絵を自由に見るだけでしたら絵画の目的など気に掛ける必要もありません。
でももしあなたが、絵画の真価を見極めることに興味があるのでしたら、次のことを知っておいてください。
- 絵画は目的に応じて評価基準を変える必要がある。
- 西洋と東洋とでは、美の基準が異なる。
これは、絵画の真価を見極めるための基本です。
しかも、このことを知っているだけでも、他の人と評価が違ったときや、他の人と価値観を共有したいときなど、お互いに誤解を避けられるはずです。
次の章では、時代や場所や好みを超えた、絵画の評価基準である試金石についてお話します。
絵画の試金石とは
絵画の試金石とは、「時代や場所や好みを超えた絵画の評価基準」だということが出来ます。
では、「時代や場所や好みを超えた絵画の評価基準」とはどんなものでしょうか。
それは、絵画がその「本来の目的」に適っているかどうかを見極めるための基準です。
なぜなら、絵画の「本来の目的」のみが、時代や場所や好みを超えて、評価できるものだからです。
それでは、絵画の「本来の目的」とは何でしょうか。
ここからの説明は、画家である私自身の経験や感覚を踏まえての話になります。
画家は本来、自分と周りの自然との間に折り合いをつけるために絵を描いています。
これが絵画の「本来の目的」です。
もっと詳しく言うと、画家の「内的世界」と「目に見えるものを成り立たせている目に見えない世界」との間に繋がりをつけるために絵を描いています。
そのための手段が造形要素(線、色、形など、)です。
画家は、「内的世界」と「目に見えるものを成り立たせている目に見えない世界」との境目に色が存在すると感じています。
そして、この色の対立関係が解消されたとき、つまり、対立する色の力どうしが、互いに損なうことなく支え合っているという関係になったときに、画家は、自分と周りの自然が繋がったと感じるのです。
ですから、「対立関係の解消」こそが、時代や場所や好みを超えた絵画の「本来の目的」といえます。
ここで、絵画の試金石を定義しておきます。
定義
作品の真価を見極めるための基準で、画面上の対立関係が解消されていること。
普通の評価基準との違いは、時代や場所や好みを超えた基準であること。
補足:
ここまでの間、「対立関係の解消」というフレーズを何度か使ってきましたが、ここで、対立とは何と何の対立かについて具体的に説明しておきます。
画家が絵を描き始めるとき、実は様々な対立に直面します。
この対立関係を解消しない限り画面は対立関係で溢れたままです。
それでは、画家が解消しなければならない対立関係をいくつか上げてみます。
- 造形要素(線、色、形など)どうしの対立。
- 構図間の対立。
- 物質としての支持体(紙やキャンバスなど)と画材(絵の具や鉛筆など)との対立。
- 描かれているものと描くために使われた素材との対立。
- 描かれているものと描き方との対立。
- 画面としての支持体と造形要素(色、線、形、など)との対立。
画家が画面に色や線を置くたびに、対立関係が発生し、画家はその都度対立関係の解消を試みます。
これが、絵を描くということです。
試金石の使い方
試金石を使って絵を判定する方法
まずはじめに試金石の定義を繰り返させてください。
定義
作品の真価を見極めるための基準で、画面上の対立関係が解消されていること。
試金石を使って絵を判定するとは、画面上の対立関係が解消されているかどうかを判定するということです。
では実際に、画面上の対立関係が解消されているかどうかを判定するには、絵画の何をどう見れば良いのでしょうか。
方法
画面全体を一つのまとまりとしてみることができるかどうかに注目する。
ばらばらの要素を集めただけでは絵画にはなりません。
造形要素が互いに関連しあって、それらが全体で一つのまとまりを作って初めて絵画になるのです。
この「全体の統一感」こそが対立関係が解消されているかどうかを判定するためのポイントになります。
ここで、全体の統一感がわからないという方は、次の方法をおすすめします。
方法の補足1:
画面上の人物や植物や建物などを観るときに、そこに使われている色や線そのものだけに注目する。
つまり、名前のついた対象としてではなく、色そのものを見てください。
ある特定の対象をかたどっている輪郭線としてではなく、線そのものを見てください。
このとき、色そのものや線そのものの以下の点に注意してみてください。
- 色の状態(濃淡、面積の大小、筆触、彩度の具合、明度の具合、)
- 線の状態(強弱、濃淡、曲がり具合、はっきりしているかどうか、均一かどうか)
これらの点に注目すると、画家が対立関係を解消するために造形要素をどう扱ったかがわかってきます。
方法の補足2:
色、線、形どうしの対比に注目する。
あなたは次の事実をよくご存知だと思います。
「色は、その隣に置かれた色の違いによって見え方が変化する」
この事実は次のことを証明しています。
- 色は、単独では成り立たない。
- 色は、常に対立しあっている。
画家は、色のこの性質を常に感じながら画面を創っています。
画家は常に、どこにどんな色をどのくらい置けば他の造形要素との対立関係が解消されるかを考えます。
画家は常に、隣り合う様々な造形要素どうしが、互いに取り替えが効かないものどうしのように支え合っている状態を探しています。
ですから、造形要素どうしの対比に注目してもらいたいのです。
更に奥の手を紹介します。
それは、画家が対立関係を解消するためにどんな工夫をするかを、あらかじめ知ることです。
実際に画家が使う具体的な方法を挙げてみます。
(ただし、これから挙げるものは言葉で説明できる範囲の方法です。実際の制作では、無意識の要素も絡んで来るので、より複雑になります。)
画家が対立関係を解消するためにする工夫。
- 画面上の異なる場所で、同じ色や形を繰り返すことで、造形要素を相互に関連付ける。
- 画面上の異なる場所に互いに呼応し合う形を置くことで、造形要素を相互に関連付ける。
- 画面上の互いに途切れたいくつかの線が、画面全体で一つの大きな想像上の線の流れ(方向)になるように、対象を配置する。
- 画面全体で、色のあり方や線のあり方のバランスをとることで、全体の統一感を実現する。
画家は、初めから計算した上でこれらの方法を使うわけではありません。
画面を創っていく過程で、感じるところに従って、その都度適切な方法を使うわけです。
ここでもう一度、試金石を使って絵を判定する(画面上の対立関係が解消されているかどうかを判定する)には、絵画の何に注目すれば良いかを繰り返します。
方法
画面全体を一つのまとまりとしてみることができるかどうかに注目する。
画面全体の統一感は、造形要素の対立関係が解消されて初めて実現します。
造形要素を見ることに慣れてくると、絵を見たときに、造形要素が互いに関連しあって、全体として一つのまとまりを作っていることに真っ先に気づくようになります。
対立関係が解消されている実例
例えば、主に線で構成された絵(版画やデッサンなど)を観たとき、画面全体で対立関係が解消されていると感じられる作品は、無駄な線が一本もないという印象を与えます。
そのような作品は、画面上のある部分を隠すと、全体のバランスが崩れてしまいます。
それは、どの部分も全体と関連しあって、一つのまとまりを作っているからです。
下の図版は、レンブラントの『キリストの説教(百グルデン版画)』です。
部分拡大図を見てもらうと、無駄な線が一本もないことに納得してもらえると思います。
試しに、どこか先の一部を隠してみてください。
一気に全体のバランスが崩れてしまうはずです、
もう一枚是非見てもらいたい作品があります。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『聖アンナと聖母子』です。
レオナルドの作品の場合、これまでお話した造形要素(線、色、形など、)そのものに注目しても対立関係の解消の工夫が見られるわけではありません。
その訳は、彼は造形要素の見た目を調整することで対立関係を解消するという方法を使わないからです。
彼の方法は、画面全体のすべての対象の存在感を同格にすることで、画面全体の統一を図るというものです。
実際に彼の作品を見て驚くことは、画面上のどの部分の存在感も同格だという事実です。
文字どおり、どの部分もです。
これは、実際に作品を見てもらうのが一番です。
まず、この作品の三人の人物群に注目してください。
彼女たちは地に対する図でもなければ、背景に対する形でもありません。
この作品では、「人物」も背景の「自然風景」も全く同格である、という点に注目してもらいたいのです。
さらに、細部と全体の関係にも注目してください。
レオナルドの細部は、細部のための細部ではありません。
この作品の細部は、「全体との関係における細部」として存在しているのです。
もしも、全体から分離している細部を整えすぎると、生気のない硬直した作品になってしまいます。
ところがこの作品では、細部だけが浮き上がるということは決してなく、細部は常に、全体との関係において存在し、全てが生き生きとした存在感を放っています。
一つの例として、聖アンナの左足の脇に転がっている石に注目してください。
驚くべきことに、石ころと三人の人物は、同格の存在感を持っています。
レオナルドは、それらを同格に扱ったのです。
それでいて、全体としてなんの違和感も感じさせることなく、画面全体で完璧な統一感を実現しているのです。
画面全体の統一感が実現されている、最上の例を挙げてみました。
しつこいようですがここでもう一度、試金石を使って絵を判定する(画面上の対立関係が解消されているかどうかを判定する)には、絵画の何に注目すれば良いかを繰り返します。
方法
画面全体を一つのまとまりとしてみることができるかどうかに注目する。
まとめ
近代以降、絵画の目的が曖昧になりました。
画家が意味の伝達から開放されて以来、絵画の目的が画家次第になったことが原因です。
でもそもそも絵画は、人間が周りの自然との折り合いをつける(対立関係の解消)ためのものです。
このような絵画の基本的な機能に立ち返って考えると、絵画の本来の目的とは、対立関係を解消することと言えます。
「社会から明確に要請された目的がない以上、絵画の目的は人それぞれでも構わない」という考えもあると思います。
ですが、絵画の「本来の目的」があったからこそ、絵画の歴史はこれまで続いてきたのです。
絵画の「本来の目的」は、画家の ”個人的な目的” や ”鑑賞者の好み” を超えたものです。
そして、絵画の「本来の目的」を評価する基準も間違いなく存在します。
今回は、その基準を「試金石」と呼び、他の基準と分けて考えました。
絵画の試金石とは、絵画の真価を見極めるための基準で、絵画がその「本来の目的」に適っているかどうかを見極めるための基準です。
具体的には、画面上で対立関係が解消されているかどうかです。
今回紹介した試金石は、鑑賞者どうしが、個人的な目的や好みを超えて共感し合うための基盤となる重要な基準です。
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芸術を見極めるための必須条件を詳しく解説
芸術を見極めるために必要なのは、たった1つの知識と、たった1つの感覚です。知識といっても、美術に関する書籍や解説書に載っているような知識ではありません。感覚も、特別なものではなく誰もが日常生活で普通に働かせている程度のものです。ところがこの2つは、芸術を見極めるには、必須の条件だったのです。
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