絵画におけるデフォルメに疑問を持ったり、不思議に思ったり、不自然さを感じたりしたことはありませんか。
もしもあなたが、デフォルメは理解しにくいものと感じていたのだとしたら、それは大きな勘違いです。
デフォルメは日常生活で誰もがやる行為と大きな共通点を持っています。
例えばあなたが本を読んでいて、自分にとって大事な文章に出会ったら、アンダーラインを引いたり、キーワードを囲んだりするのではないでしょうか。
これは、自分の印象を後に残す行為で、誰でも普通にやることだと思います。
デフォルメを使う画家も同じです。画面上で、見る人に印象を残したい部分や、注目してもらいたい部分がある場合、元の形を変形させて誇張するわけです。
これがデフォルメの基本です。
でも、画家の表現は自分だけわかればいいというものではありません。人に伝えることを前提としています。それには、画家と鑑賞者との間に、ある程度の知識や約束事の共有が必要になってきます。これがないと、なかなか人には伝わりません。
そこで今回は、画家がよく使うデフォルメを大きく2つに分類してそれぞれの定義、効果、実例についてお話します。
「写実的に描かれていない絵は、全てデフォルメである」という考えもあるかもしれませんが、今回は、画面上の重要な部分のデフォルメについてお話します。
もしもあなたがデフォルメを捉えにくいと感じていたなら、この知識を知れば、その歯がゆさが解消され、自分の鑑識眼に自信が持てるようになるはずです。
意図的なデフォルメ
少し細かい話ですが、デフォルメは何かの形の誇張や変形ですから、論理的には元の形があることになります。
この元の形は、この世に存在するものと考えて話を進めます。
定義
画家が、形を通して特定の意味を伝えたいとき、元の形を「変形」したり「誇張」したりすることがあります。
これは、大事な点を強調したり、形に象徴的な意味を持たせたりするための工夫です。
これが、意図的なデフォルメです。
実例
10世紀頃の写本挿絵によく見られます。写実絵画におけるデフォルメの実例よりもわかりやすいと思います。
下の図版は、『オットー3世の福音書』より、「ペテロの足を洗うキリスト」です。一見、子供が描いたかと思われるような素朴で単純な図柄は、写実画とは言い難いものですが、意味の伝達を最優先した当時の画家たちは、対象を写実的に描く意義を感じなかったはずです。写実にこだわると対象の自由な配置ができにくくなり、そのせいで意味が伝わりにくくなるからです。
それでは、この絵に見られる主なデフォルメを挙げてみます。
- 現実世界の枠組みとしての遠近法的空間が、天上世界を象徴する金色の空間に変化しています
- 精神的行為を強調するために、登場人物たちの肉体的現実が否定されています。
- キリストの長い右腕と、ペテロの長い両腕が、二人の間でかわされた会話を象徴し、この絵の焦点になっています。
- この絵のテーマにとって重要ではない8人の弟子たちは、キリストや聖ペテロに比べて小さく描かれ、狭い場所に押し込まれています。
このように、「意味の伝達」を一番の目的とする絵画では、「意図的なデフォルメ」はなくてはならない表現手段です。
補足:
意図的なデフォルメの他の実例として、単純化によるデフォルメを紹介します。これは、彫刻でよく使われる表現手段です。
定義
いちばん重要な部分への注意が妨げられないように、他の部分を単純化するという方法です
実例
下の図版は、『アブ神殿出土の神像 アブ神と母神』です。
最も背の高いのが、アブ神、次に高いのが母神と言われています.
これらの像を見てすぐに気がつくのは、大きく見開いた目です。ひと目で、目に大きな意味が込められていることがわかります。神官や礼拝者は、目を通して神と交信すると考えられていたのでしょうか。目は、神の領域と人の領域をつなぐ窓なのでしょうか。いずれにせよ最も重要な目への注意が妨げられないように、体や顔が、円筒形、円錐形といった幾何学的形態によって単純化されています。
この方法は、強調したい部分を変形するだけでなく、その部分へ注意を集中させるため、それ以外の部分を「単純化」したわけです。
必然的なデフォルメ
意味の伝達を重視する画家がよく使うデフォルメ(意図的なデフォルメ)とは異なり、真理の追究を重視する画家が、造形要素を扱う過程で、元の形を変形せざるを得ないと感じて行うデフォルメがあります。
元の形を変えざるを得ないとはどういうことでしょうか。
まずは定義してみます。
定義
絵画の自律性(「絵画は現実の再現ではなく、それ自身ひとつの独立した世界である」という考え方)を制作の指針にしている画家にとっては、造形要素(色、線、形など)の対立関係をどう解消するかが大きな課題になります。なぜなら、画面というひとつの独立した世界では、秩序(画面上で対立関係が解消されている状態)が必要だからです。
彼が目指す対立関係の解消とは、画面に「色」や「線」や「形」を置いていくとき、それらの対立する力どうしを互いに損なうことなく支え合っているという関係にすることです。
でもこのとき、対象の実際の「色」や「形」に従っていては、それが実現できない場合があります。
つまり、対象の忠実な再現よりも対立関係の解消を優先させると、対象の輪郭を犠牲にせざるを得なくなったり、実際に目に見える色とは異なる色を使わざるを得なくなったりするのです。
これが、必然的なデフォルメです。
抽象的な説明になってしまいすみません。
実例
マティスの絵画に見られるデフォルメはこれの典型です。
マティスは、色、線、形といった造形要素どうしの対立関係の解消を生涯追究し続けた画家です。
彼の制作方法は、「色や線や形を画面に置くたびに引き起こされる対立関係を、その都度解消し続けていく」というものでした。
このことは、彼自身が残した制作過程の記録を見るとよくわかります。
下の図版は、マティスの『緑の筋のあるマティス夫人の肖像』です。
この絵を見て誰もが気になるのが、顔の真ん中に置かれた緑の筋です。彼はこの緑の筋で、画面全体の造形要素どうしの対立関係を解消すると同時に、画面全体の統一感を実現しています。
試しに、緑の筋を何かで隠してみてください。画面は一気にバランスを崩します。
顔の左右の色の違いが、対立したままの状態になり、背景の3色の色面はバラバラになります。
マティスは、夫人の顔に緑の筋が見えたからそれを描いたのではありません。
画面全体の対立関係を解消するために緑の筋を描かざるを得なかったのです。
このように、「絵画の自律性」を目指す画家や、「真理追究型絵画」を描く画家にとっては、「必然的なデフォルメ」は重要な表現手段です。
注意:
一つ注意してもらいたいことがあります。それは、デフォルメのように見えて、実は違う表現があるのです。
代表的な画家はパウル・クレーです。
彼は、「絵画の制作は、自然界の創造に近い」と考えた画家です。
クレーの作品でおなじみの、まるで子供が描いたかのような飾り気のない単純な形は、自然をデフォルメしたものとしてみると理解できません。
実は、彼が描く色や線は、自然からの「抽象」や「単純化」や「デフォルメ」ではないのです。
彼の線は、いわば自然発生的に生まれたというべきものです。
実際彼の絵は、今この瞬間に生まれて、目に見えるようになった、という印象を受けます。
彼の制作方針は次のようなものです。
- 「色」や「線」が本来持つ力(創造力)を損なわず、それを保つこと
- 「色」や「線」が本来持つ力(創造力)を発揮させるには、点から始める必要がある。
つまり、「色」や「線」が、性質を持ったり、形になったりする前の状態から始める必要がある。
彼は、目に見えるものを支えている、目に見えない現実(原理)を、目に見えるようにしようとしたのです。
ですから彼の描く色や線は、いま新たに、何かが創造された。と感じさせるものになったのです。
まとめ
意図的なデフォルメは、よりわかりやすく意味を伝えるための工夫です。
その方法は、意味を伝えたい部分を変形して強調する、というものです。
必然的なデフォルメは、画面上の対立関係を解消するための工夫です。
その方法は、造形要素(色や線や形など)どうしの対立関係を、互いに損なうことなく支え合っているという関係にする、というものです。
「意図的なデフォルメ」は、元の形を変形させる、というイメージです。
「必然的なデフォルメ」は、元の形からどうしても外れる、というイメージです。
これらの違いがどこから生まれるかというと、「意図的なデフォルメ」は、意味を伝えることが主な目的であるのに対して、「必然的なデフォルメ」は、対立関係の解消が主な目的だからです。
18世紀頃までの絵画の主な役割は、意味の伝達でしたから、「意図的なデフォルメ」が使われる例が多いようです。それ以降は、絵画の自律性を目指す画家が出てきたため、造形要素が注目されるようになります。
このような絵画では、「必然的なデフォルメ」がよく使われます。
時々、概念の伝達と真理の追究が融合している作品もありますが、これら2つの融合は、表現の曖昧さを招きます。ですから、意図的なデフォルメと必然的なデフォルメの併用は、画面をわかりにくいものにします。
デフォルメは画家にとって重要な表現手段の一つですが、画家と鑑賞者との間に、ある程度の知識の共有がなければ、伝わりにくい表現手段とも言えます。
今回の話は、あくまでも画家の立場から、デフォルメをどう考えているかについてお話しました。
立場の違う方たちからは、また違った考え方が出てくるかもしれません。
画家の考えは参考程度にしてもらって、実際あなたが絵を見るときは、あくまでも、あなた自身の感性に基づいて自由に絵画を楽しむ事を忘れないでください。
絵画は、それを見る人のためのものですから。
今回の話が、あなたの自由な絵画鑑賞を妨げないことを願っています。
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