絵画を分析的に見ることの楽しさと陥りがちな危険 そして、共感の重要性

美術批評
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美術愛好家のあなたなら、絵画を分析的に見ることの楽しさをすでにご存知かもしれません。これは、造形要素の活かされ方や、構図の意味などを知るには必要な態度かもしれませんが、あまり純粋に追求しすぎると、通俗化をまねくことになります。今日は、絵画を分析的に見ることの良い面悪い面についてお話します。

1.絵画を分析的に見ることは、造形要素に注目することから始まる

造形要素とは、明暗、に代表される画家の表現手段のことです。



どんな画材を使うにしろ、ほとんどの絵画は、この3つの造形要素でできています。この3つの組み合わせで画家は様々な表現をしてきました。



ただ、絵画を評価する上で、造形要素そのものが注目されるようになるのは、西洋では、近代以降(ロマン派以降)です。東洋では、早い時期から純粋な風景画に近いものがありましたから、絵画を造形的に分析するような評価の仕方は早くからあったかもしれません。



西洋美術館でよく目にする近代以前の絵画は、『画家が絵に意味を込めて、見る者がそれを読む』というのが一般的でした。



時代の流れを少し整理してみます



A.「絵で意味を伝えた時代」の表現方法

  1. ものに象徴的な意味をもたせて、それを画面上で組み合わせて意味を伝える
  2. サインランゲージや、身振り言葉などを通して、意味を伝える
  3. 宗教的、文化的な約束ごと象徴などを使って、意味を伝える


B.「線、色、明暗などの造形要素の組み合わせで、美、その他を伝えた時代」の表現方法

  1. 『線、色、明暗そのものが本来持っている力や効果』を重視して、実際の物の形は犠牲にする

Aの時代、絵の意味を読むには、画家と鑑賞者との間に知識の共有が必要でしたが、それが崩れてくるにしたがって、造形要素への注目が高まったわけです。

man in black sweater sitting on brown wooden chair
Photo by cottonbro on Pexels.com

2.絵画を分析的に見ることの楽しさ

造形要素に注目して、分析的に見ると、デフォルメの秘密がわかってきます。近代以前の「絵で意味を伝えた時代」、極端なデフォルメは殆どありませんでしたが、より効果的に意味を伝えるためには、画面構成の工夫は必要なことでしたから、画家たちは、それぞれ独自の工夫をしました。



例えば、複数の線遠近法を使ったり、線遠近法をわざと崩したりして、空間の圧迫感を克服しようとした例がいくつもあります。



近代以降、特定の意味を伝える任務から解放された画家は、造形要素そのものの効果や力を、意味の伝達よりも重視するようになりました。



このような画家が、例えば肖像画でも、風景画でも構いませんが、実物に似た形を描こうとしたとします。

彼が造形要素そのものを活かそうとすると、形を歪ませたり、実際とは異なる色で強調せざるを得なくなります。

その理由は、造形要素は関係において成り立つものなので、その関係が効果的になるように形や色を画面に置いていくと、必然的に実際の形から外れてしまうからです。これが、デフォルメの秘密です。



絵画を分析的に見ると、デフォルメや、構図のとり方などから画家の意図が見えてきます。これは絵画鑑賞の一つの楽しみですよね。



でも、純粋に分析的な態度は、通俗化に通じる危険があるんです。

3.分析的な態度が行き過ぎると、通俗化をまねく

通俗化は、必ずしも悪いことではありません。世間一般にわかりやすいようにすることは、ある程度までは必要だと思います。



私もブログを通して芸術の通俗化をしている部分もあります。



では何が問題かと言うと、分析的に絵を見ると、人は、その絵が理解できたと判断します。それが癖になると、絵をパターンで見るようになります。パターンで見ることは、世間一般にとってわかりやすくなったことなので、まさに通俗化が進んだわけです。



そうすると、絵の本当の魅力に気づけなかったり、想像力が刺激を受けなかったり、といった弊害が出てきます。



世間一般にとってわかりやすい部分はあったほうがいいと思いますが、芸術は通俗化で終わるものでは断じてありません。一通り理解できたら終わりではありません。通俗化はほどほどがいいと思います。



ここで注目してもらいたいことは、分析的態度は、あくまでも、ものを理解しようとする態度です。ですが、絵画は、『理解できたか、できないか』、『わかったか、わからないか』ではなく、『共感できたか、できないか』が重要です。



絵画を見たときの感動は、共感からくるものがほとんどです。分析的鑑賞はほどほどがいいと思います。



それよりも、あなた自身の感性に基づいて、ただ見る。色々考えずにただ見る。という鑑賞法も意外といいですよ。

まとめ

絵画を分析的に見ることは絵画鑑賞の全てではありません。特に、造形要素を分析的に見てもあまり意味のない作品もあるからです。


例えば、近代以前の西洋では、『画家が絵に意味を込めて、見る者がそれを読む』という作品が多く、画家の第一の目的は、意味を正しく印象深く伝えることでした。それに加えて、造形的にも美しい作品であれば長く好まれたと思われます。そのような作品の造形要素だけを分析しても、それの本当の価値はわかりません。


ただし、ほどほどであれば分析的鑑賞法は楽しいものです。


なぜなら、「デフォルメ」や、「構図」や、「の使い方の分析」を通して、「画家の意図の一端」を垣間見ることができるからです。ですが、分析的態度はあくまでも理解の追求が目的ですから、それが行き過ぎてしまうと、絵を見る感動が薄れてしまいます。なぜなら、感動は、『理解』よりも『共感』から生まれることが多いからです。


おすすめの鑑賞方法は、あなた自身の感性に基づいて、ただ見る。色々考えずにただ見る。という方法です。是非、試してみてください。

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