美について、画家の本音を聞いたことがありますか?誰もが知っているようで知らない画家が考える美とは

美術批評
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わかっているようでいて、いざ説明しようとすると案外困る言葉ってありますよね。「」、「」、「真理」など、そういった言葉の典型じゃないでしょうか。とくに「美」について考えるとき、人それぞれの基準がありそうですが、統一基準もありそうですよね。今日は、こんな曖昧にしか捉えられていない『』について、画家の本音を交えながらお話します。


もしも、『全世界、全時代共通の美の基準』が存在するとしたら、それはどんなものでしょうか。それは、”文化や価値観の違いにも関わらず通用し続けるもので、しかも個人の好みを超えた絶対的な基準”ということになります。そんな基準はかなり考えにくいと思われます。


逆に美の基準は存在しないと考えて、“人が美しいと思うものは,もれなく全て『』”ということにしてしまったらどうでしょう。


誰にも迷惑をかけない、個人の内面世界でのことならそれで済むでしょうが、社会的な基準が必要な場面ではそうは行かないでしょう。


では、『美の基準』をどう考えればいいのでしょうか。


画家は『』というものをどう考えているかといいますと、

答えは「よくわからない」です。

全世界の画家に聞いたわけではないので断言はできませんが、画家が本音を話す場合、おそらくこの答えが一番多いのではないかと思います。


バランスや調和がとれたものの美しさ』や、『黄金率に従った比率の美しさ』など、美の基準として考えられるものはいくつかありますが、画家はそれらの基準をそれほど重視していません。画家は(少なくとも美しいものを作ろうとしている画家の話に限らせてもらいますが)、バランスや調和や黄金率だけでが成り立つとは思っていないのです

ここから先は、画家としての私自身の考えになりますが、


』とは現実を成り立たせている原理と関係があると思っています。



絵画とは、『内的世界』と『外的世界』とのつながりをつけることだと考えています。


内的世界』と『目に見えるものを成り立たせている目に見えないもの』との間につながりをつけることだと考えています。


このつながりをつけるとは、『対立する力どうしが、互いに損なうことなく支え合っている』という関係を実現することです。この関係が、現実を成り立たせていると考えています。そして、何故かこの関係が実現されたとき、『』という言葉でこれを表したくなります。


この関係を実現しようとするとき、先ほどお話した、バランス調和黄金率といった美の基準だけではすまないことが多いのです。

例えば、生き生きとした存在感を表現するためには、あえてバランスや調和を崩さざるを得ない場合があります。また、複雑で微妙な要素間の、対立関係を解消するとき、法則どおりにいかないことが多いのです。

画家が知っていることは、


1.「既存の美の基準に従いさえすれば美は実現する」とは思っていない。(複雑で微妙なものを実現する場合は、特に法則どおりにいかない)

2.既存の美の基準を使うのは、他に方法がないときに限る。



3.画家は、『
』という言葉で表したくなるものを創るが、それを言葉では説明できない。



以上です。

無理やり言葉にしてきたので、あまりにも抽象的で、わかりにくかったと思います。 すみません。


結局、『美の基準は存在すると思われるが、それを言葉では説明できない。が結論です。

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